さすらうとさまようの違い

さすらうとさまようの違い

- 概要 -

自分で目的(目的地)を決めずに歩き回ることをさすらう、自分で目的(目的地)がどこかわからずに歩き回ることをさまようという。

- 詳しい解説 -

さすらうは、目的地を決めずに、気の向くままに歩き回ることをいう。あてもなくあちらこちらを流浪するということである。

さまようは、目的地がわからない、または見つからないためにあちこちを歩き回ることを言う。自分ではどこに行きたいかがある程度分かっているにもかかわらず、どこにあるのかどのように行くのかがわからないために歩き回るということである。また、さまようは、「生死の境をさまよう」のようにある地点を境に、行ったり来たりするような状態も表現する。これはさすらうにはない用法である。

さまようは、漢字で書くと「彷徨う」とも書くが「さ迷う」と書くこともできる。つまり、「迷う」のがさまようのもともとの意味である。さすらうは漢字では「流離う」と書く。つまり流れる、そして自発的に離れながら歩くということである。
「新しいと真新しい」「イルミネーションと夜景」「金歯と銀歯」などなど、世の中にははっきりと説明できないよく似た言葉や物事が私たちが思っているよりもかなり多く存在しています。私自身学生時代からそのようなよく似た言葉・物事の違いを意識的に発見しては辞書やネットで調べるということを日常的にしていて、それが一つのライフワークになっていました。ある時期からその趣味?ともいえる調査・分析にどっぷりと浸かりまして、これまでエクセルにまとめた二つの類似した違いをネット上で公開し始め、今では複数の方のお力もお借りして実に多くの類似した言葉・物事をネット上で公開することができています。日本語は実に複雑怪奇・・・!そして面白いなと思います。「私語と雑談の違い」「失礼と非礼の違い」「始末書と反省文の違い」「すなわちとつまりの違い」うむむ・・・、よくわかりませんね。知らなくても別に生活に困るわけではないけど分かっているとちょっと嬉しい二つの違い、お時間のある時に是非1つでも覗いていただければと思います。