赤穂浪士と忠臣蔵の違い
- 概要 -
忠臣蔵は赤穂浪士のかたき討ちを扱った各種ある物語の題名で、赤穂浪士はその主人公。赤穂藩主浅野内匠頭の敵である吉良上野介を討つためその屋敷に討ち入る物語。
- 詳しい解説 -
忠臣蔵は人形浄瑠璃や歌舞伎などの物語で、仮名手本忠臣蔵の略称である。浄瑠璃では江戸時代に実際にあった赤穂浪士のかたき討ち事件をもとに脚色し、背景を太平記の時代に置き換えて語られている。
赤穂浪士は赤穂義士ともいわれ忠臣蔵の主人公であり、旧赤穂藩士47名のこと。他に四十七士とも呼ばれる。
実際の赤穂浪士討ち入り事件は江戸時代元禄15年(1702年)12月15日に起こっている。赤穂藩の旧藩士(浪士)47名が吉良上野介の屋敷に夜討ちをかけた事件である。
事件の発端は赤穂藩の藩主浅野内匠頭が吉良上野介との間に因縁が生じ(因縁の種類は各説あり)、江戸城松の廊下にて吉良上野介に切りつけたことにある。浅野内匠頭は即日切腹となるが藩士たちは大石内蔵助を中心に主の敵を討つために、その約2年後仲間を集めて吉良上野介の屋敷に討ち入り、その首を挙げ念願を果たす。藩士はその後1名を除き、幕府の命により切腹となり、上野の泉岳寺に葬られた。
四十七士の墓には現在もお参りする人が後を絶たない。
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